ボクはこうして生きてきた  その17

盛夏、奈良県の吉野川で恍惚の人に出会ったこともある。

 その人はボクの少し上の瀬で釣っていた。鮎にはよく釣れ出す時合いという時間帯がある。その時合いがきたかという時、突然大声がした。振り向くとその人が荒瀬でもがき流されていた。

 慌ててボクら数人が救出に入る。何とか浅瀬に到達し運良く竿も回収。見るとけっこうなご老人だ。水を飲んだのか何度も咳き込む。が、直ぐに礼を言うとスタコラともとの場所に戻っていった。

 皆が驚いたのはその後だった。老人は全裸になると濡れた着衣を木に干し、麦わら帽子だけかぶった。

 まっ、まさか。

 皆が注目する中、釣り竿を伸ばしさっそうと石に飛び乗ると丸裸で前のめりに竿をかまえた。その足腰には、さっきのアザがすみれ色に浮き上がっているではないか。

 とがめようと釣り人のひとりが老人に近づいた。

「今が時合いじゃて!」と老人が一喝する。

 ボクはとがめようとした人の手を引いて首を横に振った。それは俗人が近づくなど許されぬ恍惚の人なのだよと。

 筋張った赤銅裸体、その躍動が炸裂した太陽に黒びかりする。恍惚とは美なり、と異様なオーラが周囲を包んだ瞬間だった。

「ほりゃ掛かっちゃ~!」

 と老人の奇声が響いた。

 竿がブン曲がり、橋の上から大きな笑い声が上がった。

 老人はかまうことなく股をおもいっきり割って竿を繰る。

 おしりについたすみれ色のアザが水滴をはじくのを見てボクはプーと吹き出し、ヒクヒクッと腹を抱えてうずくまってしまった。

 鮎釣り、それは時として人に魔性の趣を引き合わせることがある。

 ボクもとくと肝に銘じておこう、と思った。

ボクはこうして生きてきた  その16

 とにかくボクは鮎釣り師となって各地の川へ出かけた。

 瀬に立ち込んで鮎釣りをしていると、川のせせらぎしか耳に入らず夢中になることがある。有田川の明恵の瀬で鮎を釣っていた時のことだ。

 なかなか釣れなかったが、一匹釣れてから調子よく上がりだした。夢中になっていたら川のせせらぎより大きく、ウ~ウ~とサイレンが鳴る。続いて「どこそこの竹藪から火が出ました」との放送が響いた。

 どこそこのが聞こえなかったが、竹藪かと暢気に釣りを続けていた。

 橋の上に何人かの人が来てボクの方を見ている ボクは有頂天になって、見たかという感じでカッコ良く竿を繰った。

 と、背後でかすかにぱちぱちと音がする。後ろにもギャラリーが来て拍手までくれたかと、ボクはナルシスト冥利にひたっていた。

 遠くでチンチンと消防車の音が聞こえはじめ、その音がだんだん大きくなって橋のたもとで止まった。どさどさどさと消防士らがホースを持って河原に降りてくる。

 なんだと思って振り向いたら、ボクの後ろの竹藪が燃えていた。

 どっしぇー、こ、ここかいなっと橋の上を見たら野次馬で一杯だ。幸い火事は鎮火したが、今度はボクの顔に火がついた。

 望外のワンマンショー。野次馬と消防士に囲まれて、9メートルもの長竿を突っ立てて固まる釣りバカにみんなの視線が集中する。

 山川草木にまで見つめられてるような感じで、いたたまれなくなったボクは帽子のつばを深く降ろし、ゼンマイ仕掛けのようにぎこちなく回って背を向けた。

 野次馬らの散るのを待つしかない。 

 やがて喧噪は収まったが、今度は鮎が釣れなくなった。

 くしょ~、と河原の砂利石を踏みつけた。

ボクはこうして生きてきた  その15

そして、車の運転ものろい。

 高知に帰る国道55号線で、次々と後続車に追い越されるのだがある一台にはさすがのボクもびびった。立派な瓦屋根をつけた霊柩車が車体をうねらせてボクの軽四をかすめて追い越していったのだ。

 あと、食べるのものろいしメールを打つのものろい。

 それからしゃべるのも暗算もコンビニで財布から小銭を取り出すのも、電車の切符を買うのも二日酔いから回復するのも胃のレントゲンで医者の指示どおりに動くのも卵飯を箸でかき混ぜるのも、全てのろい。

 加齢とともにますますのろくなってくるのも気になるが、何となくのろいと他人より人生を損しているような気にもなる。

 だが、逆に早くなったこともある。

 それは、朝起きるのが早くなった。そして何事も忘れるのが早くなったし、あきらめるのも早くなった。酒に酔うのも月日のたつのも金がなくなるのも早くなった。なぜだか夫婦げんかの仲直りも早い、ような気もする。

 人に与えられた一生の長さは、その人の心臓の打つ数で決まっている、とある本に書いていた。心臓はそのときの状況で早くなったり遅くなったりする。が、寿命は鼓動の総打撃数で決まるので遅い早いは関係ないとのことだ。

 誰もが神様から与えられた総打撃数を使い切ったところで人生が終わる。結局人の一生は計りかねる、と言いたいのではないのか。

 のろくても早くても大切なのはその時々の中身なのさ、と思いたい

 結局うだうだとこんな文章を書いているうちに、5時間もたってしまったではないか。

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