ボクはこうして生きてきた  その14

いつの間にやらボクは皆からガバチャと呼ばれるようになっていた。

 それは、糖尿病と診断されてからグゥワバ茶を毎日飲み始めたことに起因する。

  職場では販売で回ってくるヤクルトおばさんのカモになっていた。

 ボクが机にいなくてもグゥワバ茶だけは置かれている。

 やがて血圧も高くなりそれに効くドリンクも飲み始めた。ヤクルトおばさんにしてみればカモがネギしょって座ってるようなお得意さんだったのだろう。

 カモネギなボクは近所の医者からも本年もよろしくお願いいたします、などとめでたくない年賀状が届いたりした。

 仕事をしていたら、他人の会話でも「グゥワバ茶が」などと聞くとつい振り向いてしまう。自分でもおかしな三高中年になったものだと思った。三高と言っても、給料、学歴、身長ではなく血糖値、血圧、高脂血症の三高なので情けない。

 とにかく運動しなければと毎日昼休みに職場のビル内を歩き始めた。

 階段を上がっていてふと後ろを見ると、ボクの後ろに行列ができている。

ボクの上る速度が遅すぎたのだ。慌てて壁に張り付いたら洪水のように行列が吹き上げてきた。こんなにもみんな運動しているのかと驚いたが、ボクの遅さは何とかしなければならない。生来ボクはなにもかも動作がのろいのだ。

 家内からもよく「でぇ~い、ちゃっちゃとするっ」とよくせかされる。

  まず、歩くのがのろい。いつもノソノソ歩く。

 狭い歩道を歩いてたら「ちょっとどいてよ」と背後から言われ「すんません」とよけたらカラカラカラと点滴器を腕に刺して引きずるおばさんに追い抜かれたことがある。

ボクはこうして生きてきた  その13

 その後、休みごとに勝浦川に鮎釣りに行った。

 時には子供を連れて泳がせながら釣ったりもした。

 いつも2、3匹で10匹も釣れたら大漁で大喜び。

 でも家内はボクの釣った鮎を食べてはくれなかった。

 今も食べてはくれない。

 家内は「ただ鮎が好きでないだけ」と言うが、ボクはそれ以上訊かないことにしている。

  徳島で四年間暮らしたボクらは、再び和歌山へと転勤することになった。

  長男は小学校三年生となり体もグンと大きくなっていた。

 今でも忘れないが夕食の団らんでカレーを食べていたときのことだ。

「ねえ、お母さんどうしてお父さんと結婚したの?」と長男がスプーンを動かしながら訊いてくる。

 家内との馴れ初めを訊くなんてこのガキもうませてきやがったのか、とボクは口元を緩めた。

 家内も少し気恥ずかしそうに気の利いた返事を探しているようだった。

 だが、次の長男の言葉にボクらは絶句した。

「趣味わるいで」

 えっ。

「お父さんと結婚するなんて、お母さんメッチャ趣味悪いで」

 なっ! ボクはカレーのスプーンをカチャリと置いた。

「ねえねえ、シュミィって何?」

  と小学校一年の次男まで訊いてくる。

「そんなん知らんでええわいっ」

 とボクは憮然と返した。

 家内が食べていたものを吹き出しそうになって慌てて口に手を当てる。

 相手は子供だ。おさえておさえてと心の温厚派がボクをなだめた。

 一方で、こ、このぉてめえに言う権利はねぇ! と心の激高派が捨て台詞を言って消え去った。

 長男は何食わぬ顔でカレーをカチャカチャ食べている。

 家内は口元を押さえ体をしゃくって笑い続けた。

 こんな感じで子供たちが順調に成長する一方、ボクは順調に太っていった。

ボクはこうして生きてきた  その12

 ボクがそれらを買いそろえたきっかけが実は家内との大喧嘩だった。

 ケンカの原因は覚えていないが、お互いよほど腹を立てていたのだと思う。

 ボクは6月末にもらったボーナスをもって逃亡したのだ。もうどうなってもええわ、と言うステバチな気持ちで街をさまよって、釣具店の看板が見えたときピンひらめいた。

 鮎の道具を買おう。自分の働いた金で好きなものを買ってなにが悪い、と。

 ボクのボーナスからの小遣いは五万円で、これが少ないこともいつもケンカのネタになっていた。ボクはボーナス袋から金をがばっと取り出し、鮎竿からタイツまで一式20万円ほどを使いこんだのだ。

 盗っ人猛々しいと言う言葉があるが、正直気分が晴れた。

 このまま数日どこかの川に行って鮎を釣ろう。

 ボクはその釣具店のオヤジさんに「どこの川が釣れていますか?」と訊いた。

 オヤジさんは「今年は勝浦川がよう釣れとんじょ」と地図を開く。

 よし勝浦川に行ってみよう。そこで今晩寝て後のことはその後で考えたらいい、と勝手気ままに車を走らせた。

 ところが日が暮れたら急に意気地がなくなって、真夜中に帰宅した。夜中の二時なのに家には灯がともり家内は起きていた。

 ボクはバツの悪そうな顔で「これ」とだけ言ってボーナス袋を渡した。

 家内が中身を確かめると疲れた目で「なんに使った?」と訊く。

 ボクは「鮎釣りの道具」とだけ答えた。

「あんた鮎釣りやってた?」と家内。

「これから、やる」とボクは視線を外した。

 家内は大きなため息だけつくと黙って寝室に向かった。

 ボクは時間をおいて家内と子供らがざこ寝する布団にそっと入った。

 次男が眠ったままボクにしがみついてきた。

 寝苦しいほど蒸し暑いのに、ボクは次男を抱いたまま眠りこけてしまったのを昨日のことのように覚えている。
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