ボクはこうして生きてきた  その2

 小学校五年生の卒業式の練習で苦い思い出がある。

 桃の花、匂う三月、おなごりはつきません。

 ボクの小学校では卒業式で六年生を送る言葉を、下級生が台詞をつないでやっていた。

 ボクの台詞は「おなごりはつきません」のところだった。

 練習の時ちゃんと聞いていなくて、どんなんやったっけーと「おらげりはつきません」とか適当に言ったら、ブー教頭から「こらぁオナゴリ、ちゃんと言わんかぁ」とドス声で叱られた。

 ボクはオナゴリと呼ばれ何度も練習させられた。

「声が小さーい」と言われたので、快活に「おなごりはつきませーん」と大声でやったら「そんなに元気に言う言葉じゃなーい」とブー教頭がまた怒鳴る。

 ボクはブー教頭に恐る恐る聞いてみた。

「あのぉオナゴリってどんな意味ですか?」

 ブー教頭は目を剥いて「ええ、意味ぃ、ん~意味はなぁ・・・・・・おい、誰か教えたったれ」と周りにいた先生に振った。

 先生の1人が「えーと、別れは悲しいけど悲しそうに別れないことだよ」とか言って自分で首をかしげていた。子供のボクにはやっぱりよく分からなかったが、コワイ上級生がいなくなって嬉しいだけなのになんだと思った。

 翌年ボクたちが送られる時、オナゴリに当たった下級生がブー教頭に同じようにいじりたおされていた。あんなの小学生の使う言葉じゃない。

 そんなあの頃におなごりはつきませーん、と言いたい。

ちょっと感激しました(*´ω`)

最近あまりインスタは見ないのですが、今日は増水で釣りにも行けず久しぶりにゆっくり家でコロコロしていました。
インスタなど見ていると、ちょっと感激する投稿が(*´ω`)

いやー、久しぶりにほのぼの癒されましたわ。
ddd無題

タモ網の大きさから比べるとかなりの大鮎ですね( *´艸`)
マスクもしているし・・・
ll無題

ボクはこうして生きてきた  その1

 ボクは高知県東部の馬路村という山村で生まれ育った。

 小学校低学年の頃、痛い思い出がある。

 近所にあるハチの巣に、いつもの悪ガキ4人で石を投げては逃げ隠れしていた時のことだ。それはこともあろうにハチの中で最も凶暴なスズメバチの巣だった。

 徐々にバウムクーヘンが歪んだような模様が崩れ、スズメバチがいきり立ってきた。何投目かの石がハチの巣の根元に命中し、落ちてきてボクらの目の前に転がった。

 度胸のある奴が、わーっと言ってサッカーボールのように蹴り上げて、一目散に逃げた。

 大人から刺されたら死ぬと聞いていたので必死で逃げた。が、足の遅いボクは何かに蹴躓いて転倒。直後に未曾有の痛さが背中を襲った。3匹のスズメバチが針を刺したのだ。ボクは大きな悲鳴を上げた。

 友達らがわーっと言って棒を振り回しながら助けに戻ってくる。ボクは半泣きで痛さをこらえて死ぬのだと突っ伏していた。誰かがワンワン泣きながらボクのシャツをめくる。

「早よう! アンモニアや~」の後、背中に冷たいものが一斉に降り注いだ。

 えっ、とボクが首を回して見上げた光景は別の意味で怖かったが、命が助かるのならと甘受して堪えた。

 全員から「死ぬな~死ぬな~」と泣きむせんで小便をかけらたのだ。ボクは「ありがとう、ありがとう」と号泣した。

 物心つくまで、ボクはその小便で死ななかったと思っていたし、かけたみんなもボクの命を救ったのはあの小便のアンモニアだと思っていた。

 あの頃は、みんなアホだったけどしょっぱい友情でかたく結ばれていた。

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