鮎釣りで最も驚いたのは紀伊半島の中腹にある富田川でのことだった。

 富田川と書いてトンダがわと読む。トミタがわではない。

 ダムのない清流、そこで竿を伸ばしていた。

 昼過ぎから雲行きが怪しい。ボクは雷が大嫌いだ。でも、そんなときに限って鮎が釣れ出す。

 迫る黒雲。その最中に爆釣モードはやってきた。釣れるは釣れるは入れ掛かりの出し掛かり。周りの四、五人も空を気にして見上げている。

 だが、これだけ鮎が釣れだしたらやめられない。いよいよ真っ黒な雲が頭上にさしかかった時、突然、ドワッシャーン!! と地鳴りを上げて大轟音が響いた。

 心臓がピクリとはねる。

 お、落ちた・・・・・・背後に落ちたよ。

 と身をすくめてソロリと振り向いたら、軽四が逆さにつぶれて土埃を上げていた。

 鼻白む釣り人たち。

「まさか中に人がいるんじゃないのかー」

 と誰かの叫び声。

 ゾッとする背筋をこらえてボクは近づいた。

 と、上の方からオーィと男の声がする。10メートルほど上の山道からだ。男はこちらに向かって両手を頭の上に合わせ丸をつくっている。

「大丈夫や~、誰も乗ってえへんにゃ~」

 と無理矢理つくった笑顔が痛ましい。

「サイドブレーキ引いてなかったんや~」

 と続く声が裏返っている。

 新車のワンボックスがつぶれて、スポーツカー並の車高になっていた。

 その男の人は、車から降りてボクらの釣りに見とれていたということだ。

 トンダ、川のエピソードだったが人に被害がなかったことが不幸中の幸いといえるだろう。ま、そうは言っても車はぺっちゃんこだし、人ごととはいえあまりにも悲惨な出来事だった。